Y君の母の記録より…

 2歳8カ月、初めて滋賀医大で受診。広汎性発達障害の疑いあり。要経過観察と告げられ、目の前が真っ暗になった。

診断を受け、帰ってきた私は実家の母と友達にTELをし、診断結果を話し泣いた。
 今になって何故そんな考えしか出来なかったのかと思うけど、その時は「この子をお腹の中に戻したい」と思ったり、「この子を連れて家を出よう」と考えたりした。でも、上の子ども達のことを考えると、やっぱりそれは出来ないと思い直した。

受診の次の日、私の友達が心配して家まで来てくれた。ケーキを持って・・・友達は「後で食べて。顔を見に来ただけだから。」と言ったけど、私は友達に家に入ってもらい、一緒に頂いたケーキを食べた。ケーキを食べながら私は泣いた。友達も一緒に泣いてくれた。特に何も話さなかったけど、一緒にいてくれたことが、とても有り難かった。
 あの一日がなかったら、私は立ちあがるまでに随分時間がかかっただろうと思う。

診断を受けてから私は「自閉症」というタイトルにある本を読みあさった。
主人は時間があればインターネットで「自閉症」を探索した。二人共、必死だった。「自閉症」は障がいで病気ではないから、治ることはない。と医師に言われても『奇跡』を信じていた。

実家の母は私を心配して、時々TELやメールをくれた。母は「世の中には色んな子がいる。どう生まれてきたかよりどう育てていくかが大事なんや。」と言った。
 新聞で「知的障害・自閉症・ダウン症など」の記事が載っていると切り取って送ってくれたりもした。

診断を受けて1カ月が過ぎた頃、インターネットで「HACママがする家庭療育」という本を購入し実際に家でやってみた。
 簡単なプログラムを毎日、繰り返し行うもので、やっていて私自身も楽しかったし、我が子もいくつかのプログラムは楽しんでやってくれた。
 言葉の出ていない子どもさんにはおススメの本です。

3才になって間もなく、草津市の療育教室「湖の子教室」に一人空きが出て入れてもらえることになった。初めての集団生活(と言ってもクラスには10人弱の子ども達)で私の方がドキドキだった。

ハンデがある子ども達の集団とはいえ、ハンデのタイプは様々で我が子のクラスは言葉が出ている子が殆どで、単語すらでていない我が子に少し焦った。

湖の子教室のお友達には全くと言っていい程、興味を示さなかったけど、家に帰って来れば兄弟にはべったりとくっついて関わろうとした。
 兄弟3人で寄り添って関わりあってる姿が何よりうれしかった。

2才10ヶ月の頃、ある事情から我が子の障がいを大勢(30名位いたと思う)の人の前で話さなくてはいけない時がきた。
 隠すつもりはなかったけど、そんな形で言う日が来るとは思っていなかった。事前に「自閉症についての特徴」や「どんな風に接してもらいたいか」等を書いた紙をプリントし皆さんに配った。
 反応は様々で「みんなで育てていこう」とか「手助けすることがあったら言ってな…」と言ってくれた人もいた。
 「かわいそうに」と言ってくれた人もいた。Yの事をかわいそうに思ってくれたのか?私の事をかわいそうに思ってくれたのかわからない。
 けど、間違いなく言えるのは「私はかわいそう」と自分で自分の事を思った事は一度もない。ハンデのある子どもを育てるのは知恵も体力も根気も必要でしんどさは日々感じているけど、Yがそこにいてくれるだけで幸せで元気になれる。Yのいない生活は考えられない。Yが我が家を選んで、この世に生まれてくれたことに「ありがとう」という気持ちです。
 だから、“かわいそう”なんかではないです。もちろん、そう言ってくれた人は、優しさからそんな風に言ってくれたのだと思います。

3才を過ぎたある日、ちょっと目を離したすきに起きた出来事。詰め替え用のシャンプーをうかつにも洗面台に置いてしまった私…。
手先を割と器用に使えるYはシャンプーの袋を開けて頭から“ドバ―ッ”とかけて、シャンプーをしているつもり… ぬるぬるのYとぬるぬるの床。水で流しても、流しても、泡だらけで自分の不注意をうらめしく思いました。
 3才4カ月頃から単語(喃語)が出始めた。
     「くつ」→ちゅっちゅっ   「だっこ」→あっちゅっ
     「車」 →ぶっぶっ     「ねる」 →ねんね  等

音声のみから一歩前進!!
早くも会話しているYの姿を夢見る私です。

なぜだか分からないが、自閉症の子どもさんは、高い所、まわる物、水が好きな事が多い。Yも例にもれずその3つ全てが大好きで特に高い所と水には、6才になった今でも執着心がすごい。気持ちが不安定になると必ずと言って良いくらい高い所に登ろうとする。これは一体いつまで続くのだろう??
 どんどん身体が大きくなってくる我が子を見ていると時々不安になったりします…。

よちよち歩きをするようになった頃、何度か近くの公園に連れて行った。でも、公園のどの遊具にも興味を示さず、水道や水たまり、池を見つけてはそこで立ち止り、ぐちゃぐちゃになって遊んだ。砂場にも興味を示したけど、スコップやバケツを持っていて遊ばせようとしても知らん顔で砂を自分の頭にかけてみたり食べたりした。
 他の子どもさんにも興味を全く示さず、その変わった遊び方に「へんなの。」という言葉も何回か耳にした。仕方がない。確かに変わった遊び方だったから。段々と同世代の子ども達がいる場所へ私はYを連れていかなくなった。

湖の子教室に通うようになってからも中々“おともだちとあそぶ”という事は難しく、誰かがそっとYのところに来てくれてもス―ッと逃げてしまったり…
大人には関心が出てきて自分から少しずつ関わりを持とうとした。それだけでもすごい成長でほんとうに嬉しかった。

保育園に入園した頃、やっぱり園児のお母さんや先生には自分から近づいて抱っこやタッチを求めるのにお友達に目は向かなかった。
 それでもお友達の方から毎日、「Yちゃん おはよう」や「Yちゃん ばいばい」等の声をかけてもらったり、出来ない事のお手伝い等もしてもらった。
 そのうち、Yは特定のお友達に目を向けるようになった。声をかけられるとニッコリ嬉しそうに笑った。
 入園して間もないある日、園庭をHちゃんと手をつないで走っているYの姿があった。私は駐車場へあがって行く斜面から二人のその姿を見て涙があふれた。Yが同年代のお友達とうれしそうに関わっている姿を初めて見た。さくら坂保育園でお世話になれて本当に良かったと思った。

その後もHちゃんはYによく関わってくれた。お世話をよくしてくれた。嬉しい事に「Yちゃんとけっこんする♥」と言ってくれた事もあった。本当にそうなってくれたらどれだけ良いだろう…と思った。

年長になりクラスが替わった。新たにSちゃんという優しくて頼もしいお友達が毎日、毎日Yを門まで出迎えてくれて声をかけ、朝の準備をお手伝いしてくれた。Sちゃんもまた後に「Yちゃんとけっこんする♥」と言ってくれるようになり、言われているYはさっぱり分からないけど、私はとても嬉しかった。(最近はこの言葉も聞かなくなって残念)

年長組の運動会はプログラムが盛り沢山!!
 中でも“竹馬”はYにとって超難関なこと間違いなし。出来るようになる前に、まず、この何だか変わった乗り物(?)に興味を持ってくれるか??が心配でした。

園で“竹馬”の練習が始まって少し経った頃…
先生が支えて下さっている竹馬に乗り、一歩、また一歩…とぎこちなさはあるものの、まえに進もうとするYの姿がありました。
 正直、竹馬は無理だろうな~と思っていた私は、その姿にびっくり!!そして嬉しさを抑えきれず大はしゃぎしてしまいました。
 その後もYの様子を見ながら無理のない範囲で練習を続けて下さった先生方…有難うございました。

運動会当日は大阪から私の母もやって来て、主人と娘と私の4人で見に行きました。オープングの“ソーラン節”では、先生と手をつなぎ、それはそれは楽しそうな笑顔で出て来たY。大勢の人を前にしても不安定になることなく、お友達や先生と楽しそうにしているYの姿に一年間で随分成長したなぁ~と感じていました。

午前中のプログラムはどれもYなりにとっても頑張ってくれました。竹馬も一人で…とはいかなかったけど、先生に支えて頂きながら最初にみた練習の時より、ずっとずっとしっかりとテンポ良く進むことが出来ました。

午後のプログラムにクラス対抗リレーがありました。私はこのプログラムが一番心配でした。他の種目は「Yなりに頑張ってくれたらそれで良い。」と思っていたけど、リレーに関してはそうはいきません。クラスのお友達が頑張って一生懸命走ってバトンをつないでいくのをYが止めてしまってはみんなに申し訳がない。
 Yが走るのは先生のご配慮でみんなより短い距離でした。そして、その上大好きなSちゃんが手をつないで一緒に走ってくれたので、どうにか走りきることが出来ました。本当ならYが走るべき残りの距離をHちゃんが走ってくれて次のお友達にバトンを渡してくれました。こうして沢山のお友達に支えられ助けてもらい、心配していたリレーも無事に終える事が出来ました。

淡々と書いた運動会のエピソードですが、そこには本当に感動がいっぱいで、涙もいっぱい流したので、日焼け防止にこってり塗っていた化粧も帰る頃には全て流れ落ちていました。運動会を見て満足そうに大阪へ帰って行った私の母は今でも時々嬉しそうにその日の事を話します。

就学について地域の小学校の支援級にするか、支援学校にするか、進路を決定しないといけない時期がやってきました。地域の小学校には上の子ども達もお世話になり、慣れ親しんでいたし、日頃からYの存在を地域の方々に知ってもらい助けて頂きながら育てたいという思いがあったので、地域の小学校の支援級でお世話になりたい気持ちが半分ありました。でも、もう一方でYの今の姿、今の成長を見て支援学校で基本的な生活力を身につけて欲しいと言う気持ちも半分ありました。
 主人ともよく話をし、Yを両方の学校に体験入学させて頂き、その様子を見た上でもう一度考えようと言う事になりました。

実際、両方の学校で体験をさせて頂いて、私達の迷いは無くなりました。
 「支援学校でお世話になろう。」と…
それはYにとって地域の小学校がダメ…という事では決してなく、支援学校は今のYに必要な支援を受けられる場所だと改めて思った事、何よりもYが支援学校での数時間の体験中、目を輝かせ生き生きとしていた事。それで決心をしました。

卒園が近づいてきたある日の朝。
いつものように保育園まで登園すると、いつものようにお友達数名が門までお出迎えしてくれ、「Yちゃん おはよう」と声をかけてくれました。Yも「おはよう」と答えるとSちゃんが「Yちゃんって小学校行ったら知ってる人居はる?」と私に聞いてくれたので、「うん、居はるよ」と答えると心配そうな顔から満面の笑顔に変わり、「へえ よかったなぁ!」と言うと、元気に走って行きました。Yが地域ではない小学校にたった1人で行く事を知ってSちゃんはYのことを心配してくれたんだと思いました。
 Sちゃんの純粋で優しい気持ちが心から嬉しく朝からホロホロと涙が出てきました。

さくら坂保育園は本当に温かい園です。子ども達も、先生方も、保護者の方も…。
支援学校への入学は楽しみで嬉しい事なんだけど「もうすぐ卒園」と思うと寂しくて寂しくて…この温かさをずっと感じていたいと思う日々でした。

卒園式前、先生が「卒園証書授与の時に、Y君にはお友達が付き添ってもらって良いですか?」と聞いて下さいました。それから「小学校に行ったら○○をがんばります。」のところはお友達に代弁してもらおうと思いますが良いですか?」とも聞いて下さいました。
 もちろん、私は「はい、お願いします」とお答えしました。それは私が心配していた事だったので、先生のご配慮がとても有り難かったです。

そして、とうとうやって来てしまった卒園式。
Yは保育園とさよならする事も春から学校に通う事も何も分からず、式に出席していたに違いないので、式の最中にその頃マイブームだったアルファベットを大きな声で「A.B.C…」と話し出す位でした。


先生からお聞きしていた通り、証書授与の時はお友達二人に手をつないで付き添ってもらい、無事に証書を頂くことが出来ました。
 代弁の所は男の子が「Y君のお父さん、お母さん、Y君を育ててくれてありがとう。」女の子が「Y君は小学校に頑張って一人でバスに乗って行きます。」と二人とも立派にYに代って言ってくれました。私は感動で号泣してしまいました。

さくら坂保育園でYが楽しく過ごせたのは、いつもいつも周りの皆さんに支えられ、助けてもらったからです。そして、そのお陰でYは二年間で随分、成長しました。
出来る事が増え、人との関わりに少しずつ興味を持ち始め、自我が芽生え、思いを色んな形で表現しようとするようになりました。笑顔をいっぱい見せてくれ、表情が豊かになりました。言葉も少しずつ 少しずつ増えていきました。

 ありがとうございました。皆さんへの感謝は絶対忘れません。